以前から保守的な考え方だったし、日本は憲法9条を見直し、法整備の上、核も含めた軍事整備を行うべきだと思っていた。自立した国家になることが、国益を守るための前提である。
なにも一番の国を目指すわけではなく、2番でも10番でもよい。堂々と自分たちの立場を明快にし主張し協和する国であって欲しいと願う。それは個人的な信条であったけれど、どこか机上の空論めいていて現実とは結びつかなかった。


尖閣事件に端を発していろいろ調べたりしているうちに、改めて自分の意識の低さを実感した。
チベットで行われたこと、ウイグルで起きたこと。中国共産党の拡大政策について。

これらのことが日本で起きないという保障はどこにもなく、それどころか現在内部から次第に侵食されていることを知った。

私には子供がいる。彼らの安全と幸福、繁栄と自由を守りたいと思う。そのために今以上に国力を低下させるわけには行かない。

先日行ったデモにも参加しながら正直引いた。こんなことをして何になるのか、一般的な人間であったはずの私が右派系デモに参加するなんて夢にも思わなかった。

しかし家で憂いているだけでは事態は何も変わらず、大きな力に飲み込まれてしまうとわけには行かないと、出かけることにしたのだ。

このまま黙って言うなりになっていたら尖閣の次は沖縄と引き続いていくだろう。その後は強制的に移住させられ、漢民族と同化させられていくのだ。それは私には受け入れられなかった。

休日を犠牲にし、交通費をかけて集っている私と同じような人たちが静かに怒り抗議していた。その中の一粒の砂のような存在である私ではあったけれど、砂粒にも宿る意志を表明できてよかったと思う。
チベットの旗、ウイグルの旗と並んだ日の丸を少しだけ頼もしく思った。

調べていけばいくほど危機感は募るが、時々立ち止まって辺りを見回したりしながら自分の立ち位置を探っていこうと思う。